OCTOBER - DECEMBER,2003

16 December, 2003

昨日、ついにフィンランド展の搬出となり、ようやく少し落ち着きを取り戻した。

今日は、この冬一番という冷え込み。

出張から戻ったばかりの同居人と、朝っぱらから「今宵はおでんと熱燗やなー」と相談する。

怒濤の11月を思えば、夢のようである。

ひと仕事終わった後は、やっぱり気持ちがさっぱりしていて、仕事の過程で頭にきた人のことなどもわりと冷静に思い返し、

共に体験した非常事態について、切り抜け方を再考してみたりなんかもする。

あるエッセイの中に「品行はなおせるが、品性はなおらん」というようなことが書いてあった。

なっとくなっとくと思う。

仕事には、非常事態がつきもので、そういうときに、しばしば相手とか関係者の肝っ玉の小ささにびっくらすることがある。

品性というのは、お行儀がよいとかお上品とかではなくて、

こと仕事においては、あらかじめ、すべての責任を負うつもりのある人かどうかということである。

それは、仕事や関係者に愛や思いやりがあるばかりでなく、つねに勇気と決断力を備えた人であり、

相手を見くびったり見下したりしない人のことではないかと思う。人間として、よくできた人ともいえる。

非常事態がのしかかってきたときに、そういうのがまったく抜け落ちた人に当たると、

心の中に、極道の妻があらわれる。

今が腕の見せどころちゃうんか、ごじゃごじゃ言うてるんちゃうでエ、おっさん(とは限らない)、とか、

チョーシこいてるけど、アンタ自分でやる気あるんかい、とか、

うだうだしとったら、あとで泣き見るでエ、ぐさっ(ドスをさす音)とか、

よその親分に啖呵を切るのってこんなんかしら、と思う。

実際、多くの仕事において、私だけがフリーランスだということが多くて、

心の中の極妻が「ほな、アテがなんとかしたる」とでも言わない限り、私が泣きつく先も甘える相手も無いのである。

自分を守るためとゆうか、仕事の損も不名誉も、私の場合、私自身のものなのであるから、それがイヤなら奮起するしなかないのである。

出世にかかわるとかではなく、生活できるかどうかという、悲惨な選択なのである。

とは言え、世の中ゼニやでと居直る度胸もなく、

心の中のもうひとりの私は、「えらいことを引き受けてしまった」とめそめそしたりすることもある。

仕事が人生ではないが、仕事を通じて、人の品性とは何かを見ることができる。

今年も、何度か、ごじゃごじゃ言うなオッサンという言葉を飲み込んだけれど、

私には、その数を上回る、できる人の手本が何人もある。

今年は、とくに、男前な女・男の何人にも出会うことができた。

これだけ手本があれば、来年は、私ももう少し頑張れるかもしれない。

そんなことをしみじみと思い返しながら、今宵は、おでんと熱燗なのである。

同居人がよくできた女のような男であるので、心の中の極妻とはめっぽう相性がよい。

万が一、極妻が思い出してはいけないことを思い出しても、いつのまにか、楽しいお酒になるのである。


27 November, 2003

今年、京都の山々の紅葉が芳しくなく、なんだかぜんたいに茶色い秋だ。

しかもここ数日曇天が続くので、ともすれば気が滅入りそうになる。

でも、私の機嫌はすこぶる良いです。

ただいま、フィンランド現代美術展GOKANNを開催中だ。

怒濤の11月のふたつめのヤマは、3年越しで準備してきたこの展覧会の搬入とオープニングだった。

オープニングには、フィンランドから出展者と主催者の10数名の人々来てくれ、再会と展示がうまくいったことを皆で喜ぶことができた。

年々無感動で冷淡になっていく私だが、さすがにマジで嬉しかった。

(友遠方より来る、でしたっけ、さぞ昔の再会というのは、感動的でしたろう。

 先日のHOTEL T'POINTの時も、約束の日の約束の時間にグラインダーマン8人がピタっと揃ったのもそれに匹敵する。)

そして、展覧会を見た人から順番に、日本への扉があいたばかりのフィンランドの現代美術や他の文化へと、

関心がじわじわ高まってきている感じがして、それも嬉しい。

方々ですでに話してきたことだけれど、フィンランドの芸術の有り様は、京都と似ている。

中央マーケットや人気サーキットの中にあらずとも、良い作品は良いままであり続ける。

プロの仕事は人を勇気づけるもの、と先日某新聞のコラムにあったが、そのとおりなんだと納得する。

芸術は、国を超えてそれができるということ(スポーツやエンタティメントもそうだけど)。

何かを懸命に続けていると、今の時代、いつしか国境を超えてしまうものなのかもしれない。

3年間フィンランドにうなされてきたら、私にはもう少しも遠い国ではなくなっている。

ところで、子供の頃、父に、英語をやるなら「ケンカできるようにならなあかん」と言われた。

そのくせ英語教育に熱心でなかったので、フィンランドの人々とに限らず、私には義務教育の教科書みたいな英語しかない。

フランスの人とも、ドイツの人ともそれを使うしかないのだけれど、

父やそのお客さんたちが、激しく言い合ったり冗談言い合っていたりした光景を思い出すと、勇気だけは出る。

ヒンズー教やイスラム教の国々から来る父のお客さんたちの英語は、おそろしく訛っていた。

その人たちはTとDがごっちゃになっていて、DAYだと思ったらTHEYだったりした。

私のも、きっとおかしなことになっているに違い無い。

今回、それが、関係するすべてのアーティストへの迷惑になる可能性は大だったが、なんとか綱渡りは続けられている。

政治家の演説よりは、ちゃんと伝わっているんじゃないかと思う。

11月は怒濤の月、感謝と自画自賛の月。


22 November, 2003

怒濤の11月。

11月15日(土)と16日(日)は東心斎橋のHOTEL T'POINTでの展覧会&イベントstay with art の第3回。

今回は、2日間で1000人を超える来場者があった。「若冲展」に匹敵する手ごたえ、ではないかしらん。

おいでくださった皆さん、ありがとうございました。

先日、アートマネジメントのシンポジウムを通じて「作品の質は、観客動員数と関係がない」と納得したばかりだが、

美術に関して言えば、今はまだ、できるだけたくさんの人に来てもらうことも重要だ。

けれども、stay with art 会場にいると、もちろん、人が多いことだけに喜びを感じるわけではない。

たくさんの人が、私やその他の関係者を呼び止めて、いろいろな感想を話してくれる。

ひとつひとつの話を、私は忘れない。

それらの言葉には、美術の専門家、愛好家、初心者のそれぞれの層に、美術のサバイバルが染み込んでいく感じがする。

また、美術のサバイバルは、個人のサバイバルにも関係する。

一般に教条的に語られる、美術の「癒し」や「憩い」は、個人にとって決して曖昧で押し付けられた感覚ではなく、

実際には、それぞれの中に具体的で圧倒的な言葉として残るものだということが伝わってくるからだ。

美術の効能は、現場の熱気を知らないあるいは忘れてしまった権力者、為政者、権威が伝えるものではない。

体験を通じた個人の独創的な言葉は、人間全部の宝だ。

stay with art 開催直前、財政難による芦屋市立美術博物館の休館/民営化計画が発表された。

頭にくるのを通り越して、私は、自分の誇りや権利を踏みにじられた気がしている。

芦屋は私の育った町だ。私が芸術の仕事をすることになった源泉は、あの町にあると思っている。

人に自由や知性や品性が必要であることを、あのあたり一帯の文化が教えてくれたからだ。

芦屋市立美術博物館は、海の埋め立てが始まる前、かつて町の南端だった堤防のすぐ内側にある。

県立芦屋高等学校の冬のマラソンコースは、美術博物館の少し西の、芦屋川が海に流れ込む場所が折り返し点だった。

私の高校生活はウラバン気味だったけれど、なぜかマラソンだけははりきって、

数日前から禁煙すると、けっこう上位で完走してしまうのだった。

折り返して眺める六甲山地と芦屋川は、多くの画家が描いた風景だ。

マラソンの途中、川べりの松林、いつも友達が異性交友にふけっている橋の下、たまり場の喫茶店などを横目に、

これがすんだらタバコ吸えるわーと思いつつも、画家と同じ目でまわりの世界をとらえられたのは、とても幸せな体験だ。

あの頃、阪神間で吸った空気は、確かに私の精神の栄養だった。

美術館を建てて、たった10数年で閉館(実質的には)に追い込むような、品性と知性の欠けた社会ではけっして無かった。

いまや芦屋市は、自衛隊のイラク派遣を強行しようとする力と同じだけ恥ずかしい牽引力になろうとしている。

実際に、イラク派遣の一方で、国は、地方の小都市の美術館の存続助成にまで手がまわらないということではないか。

美術館を手放してはいけない。美術館の閉館を見過ごすことは、戦争参加と同じだ。

私は、育った町をずっと誇りに思いたい。私には、人として、戦争に抵抗するだけの、まだ誇りがある。

芦屋市立美術博物館のサバイバルは、この国の人すべてのサバイバルだ。


09 November, 2003

昨日の更新分は、なんだかボケてて、日付けが「11月11日」と未来へ飛んでいた。訂正しておきました。

本日は、よくわからない選挙へ出かけた。街頭インタビューなどされたら、きっと、誰にも期待していないと言ってしまうな。

今日と明日は打ち合わせや外出の予定もないので、ゆっくりとデスクワークをしている。半分休日だ。

朝、教育テレビで「象に絵を描かせる」というのを見た。

タイなどで森林の乱開発が進み、木材を運び出す象と象つかいの失業が増えたので、

彼らを助けるためのチャリティーオークションをするためだ。

象が描いた絵が、目の前で売れていく。

先日、京都ビエンナーレで、アートマネジメントに関するシンポジウムを開いたが、

アートマネジメントの意味付けや位置付けはけっこうややこしい。

「芸術」のイメージや、現実感は人によって違うからだ。

ひとつ確信するなら、今、口にしている「アートマネジメント」は、生きている芸術家の新作を世に送りだす仕事ということだ。

象は、絵を描くという「芸」を身につけたけれど、それが何なのか、当人にはわからない。

社会において、作品が「何」を意味するのかがわからないという点においては、たとえば、芸術大学の学生も象と同じだ。

というようなことを探る中にマネジメントの真髄があると思うが、平易な言葉と行為で世の中の理解が得られるまで、ゆっくり考えるとしよう。

それが、亡くなった友人が待った「芸術の春」かもしれないから。


08 November, 2003

ひと月以上も更新しなかった。

最近、このページをほめてくれる人から、更新がとろいのみならず、最近はグチばかりでねえかとご不満をいただいた。

自らをダシに愚痴ってれば頭に来る赤の他人を憎まずにおれるから、とかなんとか言いわけをしつつ、

そういえば、美術に対する思索を書き留めておらんなあ、とマジで反省もした。

しかし、10月は、まだまだこれからである今年の山場に向けた準備に明け暮れた。

美術まみれというか、それがあたりまえなんだけれど、頭の中もからだも忙しかった。

その最中、たいせつな友人が亡くなった。

自分でも意外なほど、毎日その人のことを考える。悲しいのとはちょっと違って、「悔しい」が大きい。

演劇プロデューサーであったその人は、私をこのような仕事に引きずり込んだ張本人だ。

「闘う」なんて言葉は使いたくないが、実際に、彼女と私は、闘う相手を共有していたと思う。

その人は、猛々しくいつも何かに怒り、勇気とわがままと事業欲がないまぜになったようで、恐ろしかったりやっかいだったりしたが、

ときどきものすごく屈託のないむき出しの笑顔を浮かべた。

とは言え、私は彼女の心の中や、過去や、私生活とほとんど無縁だったのだ。よく知っているようで実はよく知らない。

今になってその人を理解しようとすれば、彼女がプロデュースした演劇作品そのもののを思い浮かべるしかない。

今となっては、彼女が好きで手掛けた数々の作品の中にだけ、彼女の断片が投影されていたという気がする。

いちばん思い出すのは、ある芝居の挿入歌だ。松任谷由美の「春よ来い」という歌だ。

ユーミン嫌いな人が、「だから嫌いなんだよー」と言うに違いない曲だ。

友人が亡くなってから、それを繰り返し聴いている。なぜなら、まるで、彼女があえて残さなかった最後の言葉に聞こえるからだ。

「まだ見ぬ春」というくだりがある。なんだか、この言葉がいちばん痛い。

友人が追い求めたもの、世界観、価値が、彼女にとっての「春」が何であったか、

私はこれからの長い時間考えなくてはならないからだ。

大切な人が亡くなるとき、きまって、私はひとりだ。

身近な友人や同居人が海外へ出払っていたり、私がひとりで外国にいるときに限って、大切な人は風のように逝ってしまう。

死を想うというのは、そういうことか。ひとりの人の死は、生きているひとりひとりのものなのだ。


06 October, 2003

かねてから読みたかった「不味い!」というエッセイを読んでいる。

帯に書かれてもいるとおり、世の中に美味しいものの本はいくらでもあるが、不味い食べ物の本はない(かったらしい)。

美味しいものが好きな私は、この本が、「逆ミシュラン」のように、ひどい店を実名でこきおろしてくれ、

私が未来永劫不味い食べ物に浪費しなくてすむだろうと期待して買ったのである。

ところが、いそいそとページを繰ってみると、不味いのなんの、読みながら、本当に不味いのである。

何か食べながら読もうものなら、その不味さが乗り移るぐらいおぞましく、幸せな一日がパーになるくらいパンチのある本なのだった。

書かれていることは、ひどいレストランの実話やゲテもの喰いでも何でもなくて、

実存する種類別不味い食べ物と匿名でその出自が語られているだけだけど、

書き手は食物学の博士だから、なぜ不味いかが詳しく書かれている、そのことが、なんとも不味のである。

安くて臭みのある牛肉は、未去勢牡牛だそうで、それなど、本当に知らなければよかったーの一言に尽きる。

つまり、若くてムンムンしている雄ということで、もし飢餓に陥って人肉喰いの不幸に直面しても、

私は、若い男なんぞ、死んでも喰うまいと誓いましたよ、もう。

この本には、あの店かな?と思わせぶりなくだりもあるけれど、さすがに誹謗中傷のぎりぎり手前で曖昧になる。

不味いもの談義に少し慣れてくると、その実名がぎりぎりで明かされぬところに、逆に、美味しいものへの妙な探究心をかき立てるので、

奇書といえば言えるのかもしれない。

実際に、超不味いものに出くわしたときって、必ず、次は失敗せんぞと思うものだ。それでも運悪く繰り返してしまうものだけど。

近畿圏を車でかなり細かく旅をしているので、ちょっとやそっとでは見つからない「不味い店」のことをわりとよく知っている。

「国道○号線で一番うまい」の看板を掲げた釜飯屋は、私をふくむ3人の証言があるから確かだが、「日本一まずい」。

海の行帰りに必ず通る「定食屋」も、笑うほど凄い。

それでも、同居人の車でここを通り過ぎる時、何も知らない客の車がいつも何台か停まっているので、

余計なおせっかいと思うけれど、私たちは毎回「気の毒やねえ、可哀想やねえ。」と言わずにはいられない。

そこを知るサーファーの100%が不味いという海辺の食堂もあるが、まだ店がやっていけるのは世界の七不思議だと思う。

それから、某有名百貨店の地下の寿司屋のイクラは、むせかえるほどの消毒液臭がする。

とかなんとか、言いながら、このところ仕事においまくられていて、カップヌードルとかコンビニおにぎりなんかを食べている。

こうゆう食べ物は、気持ちが殺伐とするし、からだもあまり喜ばない。

これからは、やむを得ない場合でも、読むだけで食欲の失せる「不味い!」を思い出して、思いとどまろう。

ところで、先日タイにいる同居人から「タガメにトライ!」などというメールが来た。

同居人は、かつて「昆虫食」などという本を夢中で読んでいた。

「不味い!」によると、昆虫にも、当然美味しい不味いがあるそうだ。

願い叶ってタガメに食らいつけたとしても、同居人のタガメが不味く、2度食べるまいと誓ってくれることを祈るばかりだ。




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