30 December, 2004

瞬く間に1年が過ぎました。

今年も多くの方に多大なご支援を賜り、深く感謝申し上げます。

2005年は、これまで以上に、美術の現場を広げ、新しい歴史に関わっていきたいと思っています。

また、忙しさにかまけず、このページではいろいろと心の内も語りたいものと思います。

今後とも、何とぞよろしくお願い申し上げます。


28 November, 2004

本当の教養人は、世の中の出来事に「ウラ」があるとか陰謀だと疑ったりしないそうだ。

疑いのあまり「信じられるのはUFOやノストラダムス」などというのは無教養の極み。らしい。

世の中の悪意と猜疑心と陰謀に立ち向かえる知性が正しい。

だから、信じられるのは芸術の力だけだというのも、間を端折って言い過ぎるとバカみたいだ。

というか、言い過ぎは何にせよ馬鹿だ。

私は言い過ぎているかな、近頃。

先日、「BURNT ORANGE HERESY」という、珍しく現代美術を扱ったミステリーを読んだ。

家が1軒焼けて、人が1人殺されるが、もっともミステリアスなのは現代美術史そのものという物語である。

善意と愛情と美術史の大団円のために陰謀が渦巻くというテーマが素晴しかった。

架空なだけに、現代美術に関するどんな検証よりも、おもしろい。

私もときどき物語をでっちあげたいと思うが、所詮、妄信するバカだから、おもしろいものが書けるはずがない。


12 November, 2004

今日も一日、半袖で過ごしたぞ。

もこもこ着るのは嫌いなので快適といえば快適だ。しかし、いくら何でもおかしくないか?

そして、あと50日で「あったかい正月やねえ」などと言っているのだろうか。

季節は気持ちよくても、ブッシュさんが再選され、国際政治のカラクリなどわからんが、私の気分は悪い。

2007年に団塊世代がごっそり定年退職するというのを聞くのも、何もかもそれに向けて改変されている気がして萎える。

「泉」も、美術館にあるのは当たり前じゃないか、

中之島の公衆トイレに置くことのほうが、美術史がもう一回反転してもっとおもしろいのにと思ったりする

(これは私のアイデアでなく、ある美術批評家の意見)。

こんなふうに苛ついているから熱いのかしら、声高に思いをぶつける気もないくせに。

こんな時代に、この先どういう人生にするかなーと数カ月考えていた。

自分の残りの人生をかける目標を持たねばな。もちろん現代美術について。

このたび、やっと名案が浮かび、一応、次なるステップをつくることにした。

思わせぶりですが、近々表明いたしますので、しばしお待ちください。

しかし、真夜中に「プロジェクトX」の再放送なんか見て感動しているようじゃあ、凡人だわ。

エライ人がいるもんやなーと思っているうちは、社会変革などできんわ。

磨こう、自分を。便器のように。


31 October, 2004

芸術がなかなか社会に浸透しないと言われるが(私も言い続けてきたが)、芸術のことを毎日考えている人間のエネルギー総量は膨大だ。

浸透していないというのは、ものごとを枠組みや種類で分けたがる人の見方で、教育や経済において効果が小さいという世間の認識だ。

実際に、芸術は、衣食住の最低限の保障とは無関係だと考えられている。

しかし、こんなに毎日、世界じゅうに作品をつくり続ける芸術家がいて、それを普及・支援する人々がいる現実があるのだぞ。

もし、プロもアマチュアもふくめて、地球上からごっそりとこの人口が消滅したら、

その時点で人々は「芸術が浸透していたこと」に気付くはずだ。

なぜなら、芸術をめぐる議論や芸術家の日常は、すべての出来事と薄くでも必ずつながっていると思うからだ。

というわけで、芸術は、日頃世の中の目に映らないかもしれないが、「浸透していない」という考えを、私はやめることにした。

ただし、芸術の存続にはお金や精神的な援助が必要だという点は、否定しない。

かといって、世の中のお荷物とも思わない。

なぜなら、浸透し、人々を支えている芸術の存在が、その人々からもまた支えられる必要があると思うからだ。

総体的に芸術を高めるなどと言っても、個別の芸術家のサバイバルは本当に厳しいものだし、芸術家個人にはどうでもよいことかもしれない。

私にできることは、もっと世の中を勉強して芸術に無関心を装ってきた人を納得づくでまるめこむことと、

目前の芸術家がとりあえずその幸せを手に入れる手伝いをすることだ。

先週末、札幌で開催されたアートNPOフォーラムに出席した後、このようなことをあらためて考えました。

いやー、私自身の幸せも欲しいのですけど。


20 September, 2004

ながらく夏季休業いたしました。

その間、春に立ち上がったNAMURA ART MEETING '04-'34 の準備に奔走しました。

これから30年にわたって続く長期プロジェクトです。

信頼できる友人・知人との仕事は、あらためて芸術に携わる勇気を促してくれます。

世の中を動かす世代はそろそろ交代の時期。時代は変わる。自分たちに変えることができるかもしれないと。

今後の指針を探るシンポジウムは、今週末の開催(9-24夕ー9/26早朝)。36時間ぶっとおしで、出来事が起こりつづけます。

湾岸の造船所跡地という、魅力ある会場です。ぜひ、ご来場ください。

さて。

ここ数年の内にカラダが進化したらしく、酷暑にもなんとか耐えられるようになった。

豆乳ダイエットをしてみたり、「日焼けは疲労を呼ぶ」ことを実感し、最強の日焼け対策の会得も心掛けた。

怒濤のようなミーティングや膨大なメールチェックの日々ではあったが、親友と海で合宿という夏らしい休日も何日かとり、

久々に思い出の多い夏になりそうだ。

が、暑さ故か、アタマに来ることもいっぱいあった。いっぱいあったけど、尾を引かないようにコントロールするのが健康の秘けつだ。

ただし、忘れるのはしゃくなので、一部を羅列。

・スポーツ界の話題は、高校野球、オリンピック、プロ野球のごたごたと続く。日頃お世話になっている新聞も、もはやスポーツ紙だ。
 おネギを包むためにスポ−ツ欄を余分に買っているのではない。新聞代を割り引いてほしい。
 プロ野球の人々は、美術館や大学のNPO法人化している現状と、自分たちを比べてほしい。
 18才の高校生が大金で売り買いされるプロ野球、潤沢な資金で金メダルをとる日本の選手、なんだか人類にとって不毛な気がするぞ。
・テロや内紛が世界中で起き、日本の夏も戦争思い起こす季節だ。
 けれども、TVでは、タレントも政治家も実業家も普段から戦争用語や軍隊用語を連発する。きな臭い。
・戦争や有事は、経済を活性化させるそうだ。うすうす知ってはいましたわ、私も。でも、きな臭い。
・たぶんスポーツは、戦争シミュレーションなのだろう。だから、巨額のお金と人々の興奮がうずまくのだろう。だから、暑苦しい。
・MacのHDがクラッシュして、データが消失した。記憶と記録をいっぺんに失った。でも、白紙撤回の快感もあった。
 でも腹立たしいのは、またもやMacに投資せねばならないことだ。Mac貧乏だ。

などなど、じいさんのように、TVに毒づいたり独り言を言ったり、そういう夏でもあった。

しかし、ときどき嬉しいこともあり、嬉しいことは、反対にそっと胸にしまうのであった。

一番嬉しかったことは、自分の名前の由来に気づいた日だ。

恵まれるようにという意味の名前と信じてきたが、

「お金がないぞ」「人の心は思うようにはいかんぞ」「願いはかなわんぞ」など、

はっきり言って名前負けちゃうん、ひがみむことが多くなっていた。

人間、ひがむと悪循環なのだ。

でも、ある朝光明がさしたのである。それは、逆では?!私は、まわりの人に「恵む」べきなのでは・・・・という具合に。

せめて、いつでも、私と会う人々が、

楽しかったとか元気が出るとか、なにしろムダな時間ではなかったと思ってもらえる「私」でいればよいのでは・・・。

あまりにも遅すぎる自我の芽生えだ。宗教的気づきとは、なんら関係はないが、

私はこれからの人生、180度、態度を改めることにしたのである。思いきって、イイ人を目指すことにしたのである。

友だちに言えば、ムリと言われるので、決意はそっとしまっておく。

とはいえ、一朝一夕に様子が変わるはずもなく、まだ、いろいろな人に出会うたびにイジイジしている。そういう夏でもあったのだ。


04 July, 2004

チビなので周りの人間に見えていないのだと諦めてはいるが、

本屋とか、電車の中とかで、若者の背中に弾き飛ばされることが多くなった。

後ろを通り過ぎる瞬間に、その人が振り向いたり後ずさりしたりするのとぶつかってしまうのだ。

誰も背中に目がついていないのだから仕方がないが、

少し前まで、いくら私が小さくて見えないからといっても、無遠慮にぶつかってくる若者はいなかった。

この頃のますます図体のでかくなる若者にとって、私の気配など虫のようなものかもしれないけれど、

実際には、彼らの危機管理能力とか、モノとの間隔や気配を察知する本能が鈍っているんじゃないかと思う。

歩道を3人並んで歩いたら後ろの人が追い抜けずに困るとか、

背中の荷物や大きな鞄がバスの中で人を阻むとか、

そういうことだって、きっとわかってないんだろうな。

気の毒だけれど、いとも簡単に川で泳いで死んでしまったり、台風の浜辺で波にさらわれるのも、

たぶん、そういう人たちなんだろうと思う。

ジャングルに迷い込んだらたちまちジャガーに喰われてしまうタイプでもある。

テロが懸念される中、電車に乗れば「網棚の危険物に注意」とアナウンスされる。

いつも、万が一何かが爆発して大怪我をしたら、この車両で助けてくれそうな人はいるかなーとあたりを見渡してみる。

しかし、昨晩の遅い時間の電車内も、どれもこれも弱そー、薄情そー、機転きかなさそーな若者だらけ。

こういうときだけ男に頼る気なのも申しわけないが、やはりサラリーマンでもダメそう。

頼れそうなのは、金ジャラにセカンドバッグかトビ風の、おおむね「悪役商会」タイプだ。

都合のよい幻想にすぎないが、ケンカのやり方、ケンカの痛さなんかがわかっている人にしか、人助けもできないんだろうなと考える。

とか言って、そういうおっちゃんたちにしてみれば、何か起こったら若くてか細い女の子を助けようと考えているはずで、

私なんかは、結局若者の背中を踏み越えて、自力で脱出するしかないのだろう。

そういう危機に備えて、せいぜい敏感に生きていくことだ。


06 June, 2004

日々に追われていると気持ちがしっとりしなくなる。

いい文章に救いを求めてあれこれと本に手を出すが、ガサツな気持ちを治めてくれる文章になかなか出会えないでいる。

同時代に生きている文章家も、皆、何かに追われているからかもしれない。

よく晴れて乾いた日、木陰で風に吹かれながらほどよく冷えた白ワイン、などはどうでもよいのです、

私には、豊かな文章が身近にあればそれで休日はパーフェクトだと思えます。

本日、梅雨入り。

例年ならば、まだ爪先が冷え冷えとするような海にはいって、雨にたたかれながら波待ちを楽しんでいる頃。

海からあがると、毛布にくるまって車の中で読書する。

鳥は雨上がりをよく知っていて、雨がやむ頃になると、どこからともなくさえずりながら空低く飛んでくる。

気がついたら、私はとっくに眠ってしまっており、本は手からこぼれている。

もう一度海にはいると、眠る前に読んだ文章がいきいきと頭の中にある。

そうゆうふうに、月曜日は過ごさなくてはいけない。

美術館も画廊もお休み、髪の毛も切りにいけない月曜日は、そうゆうふうに、体も頭も遠くへやる。

海まで遠いな、京都は。

海に入ったらほとんど役に立たないことに、日々、追われているな。

などと、前向きのような、でも、実は後ろ向きのような日々を送っております。

しかし、近頃、毎朝順番に大輪を咲かす朝顔のように、若くて優れたアーティストが身辺にどんどん出てきた感じがします。

この夏は、良いこともたくさん起こるような気がしている。


02 May 2004

例年どおり、ゴールデンウィークなど関係なしに働いている。

働いているといっても、毎日お金がはいるわけではない。

貧乏ヒマなしなのである。

ということを、半分本気、半分冗談で、しつこく繰り返していると、

友人が、本当に心配し「君がお金持ちになるよう、僕は頑張る」と言ってくれたので、涙が出た。

これからは、あまり、お金の話をしないようにしよう。

前回誓ったように、これからは、毒々しい発言をしない、お金の話をしない、清らかな私になるのである。

ついでに、この頃励んでいるのは、筋トレである。

怠け者なので、夜TVを見ながら、両手に1キロずつウェイトグローブをつけリフティングするのだ。

毎日の微妙な筋肉痛が嬉しい。肩凝りもほぐれる。

なんたって、この夏は、盛り上がる肩を目指すのである。


18 Apr.2004

この頃の私は、よく毒々しいことを言う。

まあ、いつも何か腹立たしいのは確かで・・。

面倒な気を回わさずに、できるだけハッキリ発言しようと思っていると、

これまで隠してきた本性がだらだらーと漏れて来る。

老化なのかも。

これからは、シンポジウムや会議などであまり喋らないようにしよう。

とは言え、それなりのポリティカルな状況において、こういうマイナーなページでさえ、

私は自分で自分の口をふさいだりもしている。

つまり、非公式な場でだけ本当を喋ろうという魂胆なのだが、それってつまり「酒でも飲むかあ」ということですか。

しかし、老化も酒癖悪いのにも、まだまだ抵抗していたい。

よって、「王様の耳はロバの耳」というやつで、気の毒なのは同居人である。
Jan. - Mar. 2004

31 March, 2004

父の事務所から、すでに絶版になったような文庫本がぞろぞろ出てきた。

今ではほとんど聞かないそれらの小説の中に、工芸や芸術の贋作ばかりをテーマに書いているものがあった。

内容は、相当な調べものをしたうえでの完全な創作である。

大正生まれの小説家は、意地と気骨があるなあと思う。

その小説家は、架空の芸術家に「手づくりとは、手さぐりのことなんだ」と言わせている。

でへ、やられたという気がした。

野暮ったい言い方だけど、確かにそうだと思うからだ。

手さぐりをどこでどう止めるか、止められないか、そういったことを想像しながら作品観賞するのにはエネルギーがいる。

それがときどき、悩ましい。

雨があがり、すっかり晴れて、桜が咲いた。

桜に手づくりや手さぐりはおよばないが、あの異様さへの思いをとどめた芸術作品がたくさんある。

桜の時期が誕生日なので、私は勝手に桜を私のシンボルだと思っている。

満開の桜の下に立つと、なぜだか昔の画家や小説家の狂気のような想像力に取り巻かれる気がする。



21 March, 2004

なんかこう、何でもよいが、感動して大泣きしたいと思うのだけど、ここのところそういうのがない。

などと思っていると、新聞の片隅にある小さな記事の中でフツーの人がものすごいことを言っていたりするので、

朝ごはんの時に、人知れずむせび泣いたりする。

いつも、人に向って、芸術が人類にとっていかに大切で、私を感動させ続けているかと話しているが、

すごい芸術や芸術家には、凛とした孤独が漂っていて、むやみに人を寄せつけない潔さがあると感じる。

手が届かないのは切ない。切ないから泣けてくるのか。

個人の小さすぎるような物語にも、やはり手が届かないから、じわっとくるのかもしれない。

「絵にも描けない美しさ」とでも言おうか。想像を遥かに越えた存在のものが、すごいのかもしれない。

先日、父や母と堀尾貞治さんの作品を探しに兵庫運河の貯木場へ行った。

近付くにつれ、父が、「空襲のときにここに浮いていた」と言い出した。

初めて聞かされた。

「双眼鏡だけ持って、浮いていた材木に犬と一緒につかまって、一晩じゅう浮いていた」と言う。

空襲で3度焼け出されたと聞いていたので、その時のものかどうか定かではないが、

実家には、長い間、弟のガラクタ入れに(なぜか)、煤のついたピアノのエンブレムがほうりこんであった。

運河の周辺には、古い煉瓦づくりの元貿易会社の建物もいくつかあった。

その日は、父が大阪の事務所をたたむ準備の日だった。

書類棚に、「神戸貿易史」という、たいへん古い本があった。

なんかこう、後ろへ昏倒するような、誰かに強い力で頭の後ろをつかまれて、

私の知らない昔に引きずり戻される気がした。

そういう時間のうねりの中に、小さい1人ずつの人がおり、それぞれに創造性や想像力が働き、

歴史とか世界は、私の手にあまっていく。しばしば、芸術もそうである。

結局、堀尾さんの作品は見つからず、そのまま垂水まで足を延ばして、皆でお寿司を食べた。

あのあたりの山側には、切なくなる風景が少し残っている。


15 March, 2004

今朝、フィンランドから戻った。

さすがに本国での展覧会とあって、オープニングは大盛況で、評判も上々だった。

アーティストたちは、気取りなく、ブったところもない、気持ちの良い人ばかりだ。

会うのが何度目かになる人も、やっと会えた人も、心底、会えて嬉しかった。

展覧会の評判のひとつに「新鮮な人選」というのがあったが、

ヘルシンキのみならず、アーティストの活動地域が限られ担い手の入れ代わりがほとんど無いフィンランドでは、

古いつきあいや政治的な絡みをまったく無視した私の人選が目新しく、図らずも世代交代を象徴してしまった気がする。

盛大なパーティーでは、御大と中堅に混じって、主役である若い出展者たちがのびのびと振舞っていた。

短い滞在中、ほとんどは仕事だったけれど、空き時間には、歩いて回れる範囲をくまなく散策した。

公園や郊外はまだ雪に覆われていたが、気温はゼ0℃前後と、すっかり春めいていた。

散歩の途中に18ー19世紀の北欧絵画を鑑賞したり、市場で買い食いしたり、カフェをはしごしたり、楽しかった。

帰りのフライトでは、ラッキーにも、ビジネスクラスで大の字になって帰ってきた。

なんたって、毛布じゃなくてカバーのかかったお布団ですもんね。

そのおかげで旅の疲れもなく、午後からいきなり仕事をした。

18 February, 2004

勢いよく春が近付いてくるなーと喜んでいたら、もうすぐ行くことになっているヘルシンキから、

「市内の積雪は30cm以下になりました」とメールが来た。

思ったほどではないなと思いつつも、荷物に春服やパンプスなど詰めている場合ではない。

やはり登山靴を買いに走るべきか。

気候風土のみならず、あたりまえだけど世界は広い。

ヘルシンキと日本は、世界の端と端である。

周縁は濃いぞ。

水が蒸発して皿の縁に塩が溜まっているみたいに、世界の真ん中から離れれば離れるほど、文化だって結晶するのである。

真ん中は、薄い。真ん中化することは、いろいろなものの存在を引き裂くだけだ。

マージナルとか、ボーダーエリアとか、そういうところに生きていることはとても意義あることだと思うのである。

でも、これを強固に思い込むことも危なっかしい。

だから、私はいろいろなところを行き来して、そこにいるアーティストを知りたいのだ。

アーティスト以外に、誰が私に世界の「真実」を伝えてくれようか・・・。

大学が休みで時間がいっぱいあるのでハッピー。

KYOTO ART MAPの準備や確定申告など、ばりばりやって、雪のヘルシンキへ向かうのである。


18 February, 2004


飼っていた魚が全滅した。

ベランダでは蘭が開花しようとしているが、死というのは晴天とともにやってくるな〜んて、ちょっと悲しい。

ついでに、麗らかな日射しの下、洗濯をしながら最近の美術をあれこれ考えていると、山にこもりたくなってきた。

車好きのすべてがF1サーキットを目指すわけじゃなし・・・などと思うのである。つくづく。

欲望というのは、他者の欲望にそそのかされて生じるものらしい。

欲望と欲望のぶつかりあいは、お金を生むだろうし、本当の信頼関係を築くこともあるかもしれない。

きっと、ほどほどなどであってはいけないのだろう。

「ほどほど」の欲望や政治力は、世界制覇しないからな。

しかし「ほどほど」の美術ほど退屈なものは無い。


10 February, 2004

珍しくカゼを引いた。ノドがやられて、タクシーに乗ると「歌手ですか」とたずねられるくらい声が潰れるカゼだ。

カゼを引いたのは、節分の夜に金魚すくいに夢中になったからだ。

この頃の金魚すくいでは、何匹すくっても赤いのを2匹しかくれない。

そのかわり、紙が丈夫になって、20匹すくうくらい遊ばせてくれる。

お椀の底が見えなくなるまですくったので、私のまわりには人垣ができた。

けれども、店番の人に、いくら「出目金がほしい」と頼んでも、赤しかくれない。

連れ帰った2匹の金魚の食欲は旺盛で、先住の闘魚の3倍くらいの餌を食べている。

私は、その後夜遊びに行く元気がないので、「天才バカボン」でヒマをつぶしている。

あらためて読んでみると、バカボンのパパの天才ぶりがよくわかった。

ためしに、バカボンのパパのルールにのっとって振舞ってみると、なんだか気持ちがポジティブになる。

含蓄の深い漫画である。


22 January, 2004

またまたあっという間に日が過ぎた。

その間に、このラインだけは超えてはならんという体重に達してしまい、

去年から口先ばっかりのジョギングすらそろそろ体に悪いかという気配なので、せめて歩かねばなあと思っている。

ちょうど「歩数計」をもらったので、外出のときにときどき腰につけてみるけれど、案外、歩数というのはしれていて、

くたくたになっても1万歩くらいなのである。

しかも、そんなものが腰についていると思うと恥ずかしくて、バレたときは腹にホカロンを貼っているより情けないなあと思う。

ので、ごくたまに室内でストレッチをしてみたりするわけだけれど、

いいわ、夏になったら激しくマリンスポーツするのだからと、ついついそれも怠ける始末。

しかし、年頭の雑誌の占いに「今年は、水辺やマリンスポーツは凶」とあり、

自分が溺れるのかなー水死体にでも遭遇するのかなーなどと気持ちがどんどん萎え、ええい、このまま太ったろと思ったりもする。

一方で、体重の増加とともに、なんだか少し気持ちが大きくなったような気もして、

オトナというのは、少々なら、もうええわと諦め気味でいるくらいのほうが、人への当たりがおだやかになるものかと思う。

それはそれで、幸せそうだ。

人間が丸くなるというのは、形も丸くなるということなのかもしれない。

こういう仕事は胃がキリキリすることの連続なので、太れるわけがないと思ってきたが、

いろいろな価値観の人々と前向きにやっていくためにも、そこそこ丸いカラダは良いのかもしれない。

自分の将来を見すかしてただのデブ専に移項しただけじゃないかと友人は言うが、

ああこの人のお腹を枕にごろごろしたいと思わせてくれる男友達なんかも周囲にいて、デブパラダイスへの入口は近いのである。


05 January, 2004

新年あけましておめでとうございます。

本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

今年5月には、KYOTO ART MAP第5回を開催いたします。

来月早々にも、ホームページに参加ギャラリーの展覧会情報をアップいたしますので、どうぞご期待ください。

当ギャラリーでは、今年も若手アーティストの作品を次々とご紹介していきます。

美術のみならず、京都のアート全般に活気がみなぎる年になるよう、努力したいと思います。


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